ケースストーリー
はじめてのマネジメント
「エースが必ずしも名監督になるとは限らない」――この言葉を体現するような、あるマネージャーの成長の軌跡がここにある。
個人で圧倒的な成果を上げてきたトッププレイヤーが、突如マネージャーに抜擢されたとき、何が起こるのか。自らの成功体験を“正解”としてチームに押し付け、最初は一時的な成果を上げるも、やがて行き詰まり、チームの崩壊寸前まで追い込まれる。そして、そこから再び立ち上がり、信頼と共創のマネジメントを築いていく――。
本ストーリーは、組織づくりに携わるすべての人に贈る、「失敗からはじまるリーダーシップ再生の物語」である。

異例の抜擢
──期待と不安が交錯する瞬間
35歳のAさん――社内屈指のトップセールスマンにして、“社を代表するエース”と称される彼が、突如マネージャーへの昇格を告げられた。
「君を営業チームのマネージャーに任命する」
その一言は、歓喜とともに胸の奥底から湧き上がる強いプレッシャーをもたらした。
「ついに、俺がチームを率いる時が来たのか…!」
しかし、その瞬間に心をよぎったのは、誇りと同じくらい大きな不安だった。
これまで個人の実績で戦ってきたAさん。プレイヤーとしては無類の強さを誇るものの、チームを統率し、メンバー一人ひとりの成果を最大化する“マネジメント”の舞台はまったくの未知の領域。
社内には「30代半ばで管理職就任は異例」「この会社では40歳超がマネージャーの相場」といった声も。
また会社は、近年成長が鈍化し、チーム戦略の刷新を急いでいた。
我流マネジメントの罠
──期待の先に訪れた歪み
昇進直後、Aさんのマネジメント戦略は自身の営業成功体験をチームに再現することに尽きていた。
毎朝のミーティングでは、彼が培ってきた独自のトークスクリプトを読み上げ、見込み客へのアプローチからクロージングまでのフローを詳細に解説。
部下たちは熱心にメモを取り、まるでAさんと同じ「型」を習得すれば成果が保証されるかのような期待に胸を躍らせた。
最初の一ヶ月は、目覚ましい成果が現れた。個々の売上が平均15%向上し、チームKPIは次々にクリア。
オフィスの空気は活気に満ち、「Aさんの方法を身につけたい」と自発的に早出や残業を始めるメンバーも現れた。経営層からは「抜擢は大正解だった」との賛辞が届き、Aさん自身も自信を深めていった。
しかし、二ヶ月目の中頃、微妙な違和感が芽生える。部下の一人が「流れを覚えたはずなのに、顧客からの反応が鈍くて…」と呟いたのを皮切りに、次第に成果の伸び悩みが露呈。
プロセスは正しく実行されているはずなのに、クロージングの成功率は頭打ちに。
何より気になったのは、メンバーの表情から希望が失われつつあったことだ。
その頃には、チームの士気にも亀裂が入り始めていた。自分で考える余地が奪われ、商談中に一切のアドリブが許されない現場では、メンバー間の連帯感も希薄に。
かつてのエースプレイヤーが放つ厳格な指示に、幾人かは戸惑いを隠せず、上司の耳にも「成績だけが一時的に上がっているだけでは本質的な成長にならないのでは」との声が届くようになった。
Aさんは戸惑いを抱えつつも、「なぜ、自分の最良の方法が根付かないのか」と自問自答する日々を送ることになる。


試行錯誤と苦悩
──壁にぶつかる日々
危機感を募らせたAさんは、新たな施策を次々と打ち出したが、どれも期待とは裏腹に課題を露呈した。
最初に試みたのは「営業スタイルの徹底的コピー」だった。Aさんの商談フローや話法をそのまま模倣させることで、誰もが高成績を出せると考えた。
しかし、部下たちは応用力を失い、商談中に相手のニーズに合わせた対応ができなくなってしまった。
次に「トークスクリプトの細かな指導」にシフト。セリフの一字一句を指定し、完璧なプレゼンを目指したものの、逆に会話が画一化し、顧客との自然な対話が成立しなくなった。
さらに「厳格な数値管理」を導入し、日々の報告を細部までチェック。目標達成の意識を高めようとしたが、報告内容に“数字合わせ”や虚偽が増え、現場の実態が把握できなくなった。
続いてAさんは「チーム内での競争」を煽る施策に踏み切った。数値ランキングを公表し、上位者にはインセンティブを与える仕組みを作ったが、メンバー同士の協力関係が崩れ、助け合いではなく足の引っ張り合いが生まれた。
最後に「一律の営業手法の強制」を行い、どの案件でも同じ手順を踏ませた結果、独自のフォロー施策が行われず、対応に行き詰まったメンバーからは退職の相談が相次いだ。
社内では他のマネジャーたちから「Aさん、あいつ、プレイヤーとしては一流だったかもしれないけど、マネージャーとしては二流以下だな」と嘲笑する声も聞こえ始め、Aさんの心にはさらなる重圧がのしかかった。
行き詰まったAさんは、ついに上司へ打ち明けた。
「もうマネージャーからは降ろしてもらえませんか…私には向いていないのかもしれません…」
しかし経営陣は、Aさんのポテンシャルを信じ、専門家のコーチングという“第二の挑戦”の機会を与えた。
伴走コンサルティング
──再設計と実践のプロセス
Aさんの再生のために招かれたのは「組織行動研究所」のエグゼクティブコンサルタントであった。
「まずはご自身がなさってきたことを教えていただけますか」
Aさんは、これまでの施策を振り返り、成功体験をそのまま押し付けていたことに気づいた。
「マネジメントは共創のプロセスであり、部下一人ひとりの強みを引き出すことこそが鍵です」
そこでAさんは、コンサルタントとともに、自らの営業ノウハウをベースにしつつも、部下の個性を尊重した新たなアプローチを構築していく。
最初に導入したのは、パーソナライズドな1on1ミーティングだ。従来の「教える」立場ではなく、部下の課題や目標を丁寧にヒアリングし、提案と対話を繰り返しながら個別の成長プランを設計。各メンバーは自らの強みを再認識し、目標にコミットする意欲を高めた。
次に、評価制度を“成長プロセス”重視へと転換。数値だけで評価するのではなく、挑戦のプロセスや失敗からの学びを評価基準に加えたことで、部下たちは安心して新たな手法にトライできるようになる。
報告の場では、成功事例と同様に失敗経験も積極的に共有し、そこから得た教訓をチーム全体で議論する文化が醸成された。
さらに、ナレッジシェアリングの定例会を設け、成功の裏側にある背景や具体的な工夫を互いに交換。部署をまたいだコラボレーションも促進され、チーム内で助け合う姿勢が自然と根付いていった。
これらの施策を数ヶ月にわたり継続した結果、チームの雰囲気は一変。部下たちは自発的にアイデアを出し合い、互いの成果を祝福しながら切磋琢磨するようになった。
最終的に成約率は過去最高を更新し、Aさん自身も「マネジメントとは部下の可能性を最大限に引き出すこと」と深く実感するに至った。


復活
──チームと共に掴んだ本当の勝利
伴走コンサルティングによる改善施策を粘り強く継続した結果、Aさんのチームには目に見える変化が訪れた。
まず、週次で開催してきたナレッジシェアリングでは、メンバーが自らの失敗と成功を包み隠さず報告し合う姿が定着。以前は黙々と数値だけを追う雰囲気だった会議室が、互いの学びを称え合う温かな場へと変容していった。
また、1on1で設定した個別成長プランに基づき、部下一人ひとりが期限を定めたチャレンジを達成。
あるメンバーは「提案資料のストーリーテリング強化」を課題に掲げ、試行錯誤の末にクロージング率を20%向上させる成果を上げた。
別のメンバーは「フォローアップメールのパーソナライズ化」に取り組み、顧客満足度調査で平均評価が0.5ポイント改善された。
チーム全体のKPIも着実に上昇し、導入前と比べて成約率は30%アップ。
何より印象的だったのは、メンバーの表情が生き生きと変わったことだ。以前は指示を待つだけだった営業担当が、自主的にアイデアを発信し、互いの成功を自分のことのように喜ぶようになった。
Aさん自身も、かつてのように“型”を教え込むリーダーではなく、部下の成長やチームの一体感を何よりの喜びと感じるように変わった。
ある日の朝礼では、チームの最新成果を発表した後、こう語った。
「この成果は、みんなが恐れずに挑戦し、失敗から学んだからこそ生まれたものだ。これこそが、僕が求めていた“本当の勝利”だ」
社内外の視線も変わり、経営層からは「Aさんのチームは確実に自走できる組織へと進化した」と高い評価を獲得。
Aさんは初めて、自分がマネージャーになったことの意味を深く噛み締めた。
デスクに向かい、Aさんはそっとノートを閉じ、振り返る。
「あの時の挫折が、今のチームをつくった。
マネージャーとしての本当の価値は、“結果”以上に、“人”を育むことにある。
挑戦と失敗があったからこそ、今のチームがある――それを示せたことが、何よりの誇りだ」
窓の外に目を向けると、新緑の風がオフィスにそよぐ。かつては“型”を追い求めるだけだった自分が、今では部下一人ひとりの可能性を信じ、共に歩むリーダーへと成長した実感が胸に満ちていた。
これからもAさんの挑戦は続く。だがその道を、彼はもう一人で歩く必要はない。チームとともに築き上げた信頼と絆こそが、最良の羅針盤となる。
――物語は、まだ終わらない。