ケースストーリー
「育たない組織」から「人が育つ組織」へ
組織の「人材育成」は、ただ制度を整え現場に任せれば自然と成果が出るものではない。
実際、多くの企業で「OJT=現場に配属すれば勝手に育つ」という誤解が根強く、せっかくの育成制度も形骸化し、現場は疲弊している。
今回紹介するμ社のケースは、そんな現実に直面しながらも、真摯に課題に向き合い、現場と経営が一体となって「人が育つ組織づくり」を模索した物語である。
単なる制度導入の成功談ではなく、育成の本質を捉え、誤解を解きほぐしながら挑戦を続ける姿は、多くの企業に共通するヒントと勇気を届けてくれるはずだ。
ぜひ、μ社のストーリーを通じて、自社の人材育成における“落とし穴”と“突破口”を見つけてほしい。

揺らぐ現場
──組織に芽生えた危機感
μ社は地域に根ざした中堅サービス企業として長年安定した経営を続けてきた。しかし、社内には静かな危機感が漂っていた。若手社員の離職が増え、育成も思うように進んでいない。現場のベテランも疲弊し、活気が失われつつあった。
ある朝、B社長は現場を訪れた。若手社員が不安げな表情で作業をしている姿が目に入る。思わず声をかけた。
「皆さん、何か困っていることはありませんか?」
若手の一人が小さな声で答えた。
「正直、どう動けばいいか分からなくて……。教えてくれる人はいるんですけど、忙しくて細かく教えてもらえなくて。」
その声が途切れると、近くにいた別の若手社員が小声でつぶやいた。
「現場に配属されれば勝手に育つって、みんな思ってるけど、それって甘いよな。」
その言葉を聞いて、B社長は胸の中で何かが引っかかるのを感じた。
「本当にこのままでいいのか。現場に任せっぱなしで育つはずがない。何か変えなくては...」
そう決意したB社長は、人材育成の仕組みを根本から見直し、現場の声を活かしながら育成体制を強化することを決めた。
「まずは現状をしっかり把握し、課題を洗い出そう。そして全社員が自分ごととして人材育成に取り組めるように変えていく。」
こうして、μ社の人材育成改革の物語は動き出した。
社長の挑戦
──立ちはだかる現場の壁
B社長は社員の成長が停滞している現状に強い危機感を抱いていた。
「このままでは、会社の未来が危うい…何とかしなければ」と自ら動き始める。
まずは教育体制の見直しに着手した。
「新人はまず現場に配属し、先輩の背中を見て覚えろ」──そんな昔ながらのやり方を変え、体系的な研修プログラムを導入したのだ。
しかし、社長の新たな試みに対し現場からは予想外の反発が返ってきた。
「そんな堅苦しい研修なんて時間の無駄だ」
「やっぱり現場で経験を積むのが一番だ」
ある現場責任者は険しい表情で言い放った。
「現場は忙しいんだ。育成に時間を割く余裕なんてないよ」
この現実の壁は、B社長の理想と現場の厳しい実態とのギャップを鮮明に浮かび上がらせた。
焦りと悩みを抱えながら、B社長はこうつぶやいた。
「どうしたら皆が納得し、成長できる環境をつくれるのか…」
そんなもどかしさの中、B社長は外部の専門家に相談する決意を固めた。


専門家との出会い
──成長は偶然ではない。戦略だ
B社長は悩みを抱えたまま、知人の紹介で「組織行動研究所」のエグゼクティブコンサルタントに相談した。
「現場の理解が得られず、せっかくの研修も形骸化してしまうんです。どうしたら社員全体が成長に向き合える組織になるのでしょうか…」
コンサルタントは静かに話し始めた。
「よくある課題です。現場に配属すれば勝手に育つ、という誤解がまだ根強い。ですが、成長は偶然に任せていては絶対に実現しません。育成はもっと戦略的、計画的に行う必要があります。」
B社長はうなずいた。
「具体的にはどのようなことから始めればいいのでしょうか?」
「まず、育成の目的と目標を組織全体で共有しましょう。社長がトップダウンで押し付けるのではなく、現場の声も取り入れて一緒に作り上げることが大事です。
次に、育成担当者の役割を明確化し、現場と連携したOJTの仕組みを整えること。
加えて、評価制度にも成長を支援する仕掛けを入れることで、社員の意識を変えていけます。」
B社長はコンサルタントの言葉に希望を感じた。
「なるほど。現場の声を尊重しつつ、育成を仕組み化する。今までの“感覚”に頼る育成からの脱却が必要ですね。」
その日から、B社長はコンサルタントと共に現場のキーパーソンを巻き込みながら、育成戦略の再構築に本格的に動き出した。
仕組みの再設計
──現場とつながる育成戦略の立て直し
B社長は、組織行動研究所のアドバイスを受け、育成の全体像を“仕組み”として再設計する取り組みに着手した。
まず取りかかったのは、育成プロセスの「見える化」だった。新人が入社してから一人前になるまでの成長ステップを時系列で整理し、各段階で必要なスキルや支援の内容をマニュアル化。配属前研修、OJT、定期面談といった施策の位置づけをはっきりさせた。
次にB社長は、現場のキーパーソンたちと率直に話す機会を増やした。
「いま、何に一番困っているか」「新人の育成にどんな負担を感じているか」
──そんな問いかけを通じて、現場のリアルな声に耳を傾けていった。
ある日、店舗リーダーの一人がぽつりと漏らした。
「正直、教えること自体はイヤなんじゃないんです。ただ、今は現場がいっぱいいっぱいで、余裕がない。だから、新人の面倒を見ること自体にプレッシャーを感じてしまうんです...」
その言葉に、B社長ははっとさせられた。反発の裏には、単なる意識の問題ではなく、構造的な余裕のなさが横たわっていたのだ。
それを受けて、育成に関わる負担を軽減する仕組みも見直された。たとえば、OJTの指導内容をあらかじめ整理した「育成ガイド」を導入し、担当者の属人的な負荷を軽減。繁忙期を避けて研修を実施する計画も立てた。また、育成に関わった社員の貢献が評価に反映されるよう、人事評価制度も段階的に調整した。
すると、少しずつ現場の空気が変わってきた。
「研修って、ただのお勉強じゃなかったんだな」
「新人の成長って、ちゃんと仕組みで支えられるものなんだね」
──そんな声が、現場の中から聞こえるようになってきた。
対話と仕組みが噛み合いはじめたとき、組織にようやく前向きな風が吹きはじめていた。


文化への昇華
──仕組みが根づき、育つ組織へ
育成の仕組みづくりから半年。現場の空気は確かに変わり始めていたが、B社長が目指していたのは「制度の定着」だけではなかった。
社員一人ひとりが、自らの成長に向き合い、仲間の成長にも関心を持つ。そんな企業文化を根づかせることが、彼の最終的な目標だった。
ある日、B社長は新人3人と面談の場を設けた。期待と不安が入り混じったまなざしの若手たちに、彼女は静かに語りかけた。
「みんなには、ただ“仕事を覚える”だけじゃなく、“この会社でどう成長していきたいか”を自分で描いてほしいの。そのために会社は全力でサポートするわ」
すると、一人の社員が言った。
「以前は、先輩に“見て覚えろ”って言われるだけで、正直つらかったです。でも今は、何をどう頑張ればいいかがはっきりしていて、安心感があります」
また、OJT担当になった社員の一人はこう語った。
「新人の成長が、チーム全体の成果につながっている実感があります。自分の役割に誇りを持てるようになりました」
それを聞いたB社長は、静かにうなずいた。育成は、制度ではなく“人と人との関係”の中で根づいていく。その実感が、組織のあちこちに芽吹いていた。
一方で、課題がすべて解決されたわけではない。まだばらつきはあり、育成担当者の力量や職場環境によって成長スピードに差が出ることもあった。それでも、会社全体として「育てることの意味」を考える土台ができたのは、大きな前進だった。
B社長はふと、以前の自分を思い出した。焦りの中で制度を整えようとして空回りしていたあの頃。あのとき、現場の声に真正面から向き合う覚悟を持てたからこそ、今がある。
「育成は、未来への投資だ。そして文化は、一朝一夕には生まれない。けれど、必ず育てられるものだわ」
その言葉を胸に、B社長はまた一歩、次の挑戦に向かって歩み始めた。