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ケースストーリー

未来を託す覚悟 〜後継者育成に挑んだ社長の決断〜

事業を未来につなぐ――それは、言うほど簡単なことではない。
中小企業にとって、経営の承継は「いつか来る将来の話」ではなく、日々の延長線上にある現実の課題である。

しかし実際には、多くの企業が後継の問題に向き合いきれず、時間だけが過ぎていく。
後継者が「育っていない」のではなく、「育てる覚悟」が経営者自身に足りていないのかもしれない。
もしくは、「託す」という行為に潜む孤独と痛みに、誰にも打ち明けられないまま立ち止まってしまっているのかもしれない。

自分が会社の限界になってしまう――そんな危機感から、このプロセスは始まった。
これは、ある経営者が「未来を託す覚悟」と向き合った、経営継承のリアルシナリオである。

誰にも任せられない
──社長の孤独と焦り

​「全部、自分で決めるしかないんです」


30年前、40歳で起業し、ゼロから会社を作り上げてきたΣ社のW社長は、70歳になろうとしていた。


営業、現場、経理──あらゆる判断が自分の一存で下される経営スタイルで、ここまで会社を育ててきた。

 

だが、あるとき健康不安に見舞われたことで、ふと「この先、自分がいなくなったらどうなるのか」と考え始める。
 

次の世代へ引き継ぐ準備が、何もできていない現実に気づいた瞬間だった。

変わらない組織、見えない未来

社内を見渡せば、20年以上のベテラン社員が複数名。
 

だが誰ひとりとして、「この人に任せよう」と心から思える存在はいなかった。
 

「経営は別の次元だ」

「現場と経営は違う」

──そうした意識が、社長と社員との間に見えない壁をつくっていた。

しかも、若手の定着率も悪化していた。

「誰が次の幹部なのか」

「社長は次世代を育てる気があるのか」

──そういった声が、直接ではなく、じわじわと現場に広がっていた。

「このままでは、自分が会社の限界になってしまう」
 

そう感じながらも、どう動けばいいのか分からないまま、時間だけが過ぎていった。

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属人的経営の壁

──可視化と仕組みづくりへ

転機をもたらしたのは、「組織行動研究所」のエグゼクティブコンサルタントとの出会いだった。


知り合いの経営者から紹介を受けて何気なく話を聞いたW社長は、思わず唸った。

「後継者がいないのではなく、“育つ環境”がないのです」

コンサルタントの提案は明快だった。

まずは、W社長が日々どう意思決定しているかを、第三者の視点で「可視化」すること。

そして、それをベースに経営を“伝えられるもの”にすることから始めようというのだ。

目に見えない判断基準、リスク感覚、顧客との信頼関係──頭の中にしかなかったものを、少しずつ言語化していくプロセス。


それは、W社長にとって「自分の経営を客観視する」初めての経験でもあった。

託すためのプロセス
──後継候補との距離

そのプロセスの中で浮かび上がったのが、Y部長というベテラン社員だった。


現場力は高く、部下からの信頼も厚い。ただ、社長としては「経営者タイプではない」と決めつけていた相手だった。

だが、コンサルタントと共に少人数の勉強会をスタートさせ、数字をベースにした会話を続けるうちに、Y部長の視点が変わってきた。


最初は「自分には無理だ」と繰り返していた彼が、次第に「どうやったら利益が出せるか」と自ら考えるようになった。

小さな事業部の予算を任せてみる、チーム内の育成を責任範囲に含める──そんな段階的なステップの中で、「託してもよいかもしれない」という想いがW社長の中に芽生え始めた。

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託すということ

──その春、W社長はようやく、Y部長に経営の一部を託す決断を下した。


意思決定権の一部移譲に踏み切ったことで、社内には少しずつ変化が起き始めた。
 

Y部長は最初こそ戸惑いながらも、徐々に「任された責任」を自分ごととして受け止め、周囲を巻き込みはじめた。

 

W社長は、その姿を遠くから見守りながら、何度も自問していた。

「これでいいのだろうか」「本当に、任せて大丈夫だろうか」と。

 

それでも、ある日ふとした会話の中で、Y部長がぽつりと漏らした。

「社長に言われた言葉、ずっと覚えています。“自分が限界になってはいけない”って。あの時、すごく響いたんです」

──その瞬間、W社長の目に、うっすらと光るものが浮かんでいた。

 

人を信じ、未来を託す。
 

それは、事業を継ぐという行為以上に、「想いを受け継ぐ」ということなのかもしれない。
 

静かに歩みを進めるふたりの姿に、会社の新しいページが、確かに開かれようとしていた。

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