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ケースストーリー

見えない糸を紡ぐ~理念が導いた統合の軌跡

企業統合。それは単なる経営戦略ではなく、組織と人の融合という、見えない難題との格闘である。
数字は整い、法務も完了しても、人と人、文化と文化の距離が埋まらなければ、真の統合とは言えない。

異なる風土を持つ二社がひとつになるとき、そこには混乱が生まれる。思いが交わらず、言葉がすれ違い、やがて「私たち」とは誰なのかさえ、見失われていく。
そんな混迷のなかで、ある経営者が見出した答え――それは「理念」であった。

理念とは、経営の飾りではない。人と組織をつなぐ見えない糸である。
その糸を紡ぎ直すことで、止まっていた歯車が静かに、そして確かに動き出す。

これは、理念が再び意味を持ち始めたとき組織が変わりはじめた、ある企業の記録である。

会社は一つ、心はバラバラ
 ──統合から始まった「分断」

α社は、創業50年を超える製造業の老舗企業だ。数年前、将来の成長戦略として掲げたのが「地域優良企業との連携による事業拡大」。その第一弾として実行されたのが、地方で確固たるブランドを築いていたβ社の買収だった。

表向き、M&Aは順調に進んだ。財務・法務の手続きもスムーズで、システムや業務プロセスの統合も粛々と進められた。社長以下、α社の経営陣は「これで未来は明るい」と確信していた。だが、現場ではまったく異なる空気が流れていた。

「本社のやり方を押しつけてくる」

「うちはβ社であって、α社じゃない」

「新しい上司が何を考えているのか、さっぱり分からない」

そうした声が、β社の社員から次々と上がってきた。中には退職者も現れた。

 

一方、α社の社員も不満を抱えていた

「β社側の協力姿勢が見えない」

「こんなにも反発されるとは思わなかった」――。

現場レベルでの信頼関係は築かれないまま、業務は表面的にだけ進んでいた。

経営会議の場で、ある役員がつぶやいた。

「会社はひとつになったはずなのに、心はまったくバラバラだ」

その場にいた誰もが、否定できなかった。

 

そんなある日、社長がぽつりと漏らした。

 

「そもそも、俺たちって“何のために”一緒になったんだろうな...」

 

その一言が、後の大きな転機につながっていく。

語られなかった想い
 ──理念と文化、すれ違う統合のはじまり

α社には、実は創業時から大切にされてきた経営理念があった。

数年前にMVVとして整理され、社内ポータルにも掲載されていた。

だが、日々の業務でその存在を意識する社員はほとんどいなかった。

経営層ですら、社員向けのスピーチで理念を口にすることはほぼなく、「掲げてはいるが、飾りのようなもの」という扱いに近かった。

一方で、買収されたβ社には、独自の風土と強い帰属意識があった。社員同士の距離が近く、「うちの会社らしさ」という文化が自然と根づいていた。ベテラン社員の言葉にはこんなものがある。

「社長はみんなの顔と家族構成まで知っていた。そういう会社だったんです」

その土壌の中で育ってきたβ社の社員にとって、突然持ち込まれたα社の仕組みや方針は、“異物”のように感じられたのだった。

買収後、α社は統合を加速させるために人事制度や業務フローを次々と変えていったが、それが逆に反発を生んだ。

「数字や制度の統一ばかりで、何のために統合したのかが見えてこない」と、β社幹部が社内ミーティングで不満を漏らす場面も増えた。

 

そんなある日、ある若手社員がα社の社内報に寄せた一文が社長の目に留まった。

「私たちは“何のために一緒になったのか”が分からない。ただ吸収されたようにしか感じられません」

胸を突かれるような一言だった。

α社の社長は改めてMVVの文面を読み返した。そして気づく。

「これは、ただの飾りにしてはいけなかった。むしろ、最初に語るべきだったのはこの“想い”だったのではないか」

α社にとって、理念は“あるけれど語られないもの”。β社にとって、文化は“語らなくても伝わるもの”。そのギャップが、両社の距離を決定的にしていた。

 

そしてここから、MVVと本気で向き合うプロジェクトが始まる。

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“つくる”より“語る”を
──理念再構築の第一歩

MVVの必要性には気づいたものの、α社の経営陣は戸惑っていた。

「理念の再定義なんて、どうやってやるのか?」

「やってみて、現場に浸透しなかったら意味がないのでは?」――

想いはあっても、何から手をつければよいのか、誰にも明確な答えがなかった。

そんな中、社長はある名前を思い出す。「組織行動研究所」。以前、経営者向けのセミナーで紹介されていたコンサルタントだ。迷わず社長は連絡を取り、相談に向かった。

対応したのは、落ち着いた雰囲気の代表・I氏。α社の背景や、買収後の統合課題について一通り話を聞いたうえで、I氏はこう語った。

「まず、“つくる”より、“語る”から始めましょう。理念を掲げるだけでは、人は動きません。社員の中にある“すでに存在している価値観”を言葉にしていく必要があります」

I氏の提案は、単に美辞麗句を並べてMVVを刷新するのではなく、社員自身の言葉を拾い上げることで“語れるMVV”を育てるというアプローチだった。

社長はその考えに強く共感し、組織行動研究所の伴走のもとでプロジェクトを立ち上げることを即決する。

 

こうして始まったMVV再構築の取り組み。社員の声に耳を傾け、理念の“本当の意味”を掘り起こす旅が、静かに幕を開けた。

“らしさ”は、現場の言葉にあった
 ── 社員の声から見えた本当の価値観

MVVの再構築プロジェクトでは、I氏の助言のもと、α社とβ社の双方から現場社員を募ってワークショップ形式のセッションが行われることになった。

部署も年次も社歴も異なる多様なメンバーが集められ、「自社の“らしさ”とは何か」「大切にしている価値観は何か」といった問いに向き合った。

 

最初はお互い探り合いで、α社とβ社の間には距離があった。しかし、語るうちに共通する想いが浮かび上がってきた。

「お客様との約束を守りたい」

「正直な対応を大切にしてきた」

「誰かのために頑張るのが当たり前だった」

言葉や表現は異なれど、価値観の“根っこ”は意外なほど近かった。

印象的だったのは、β社のベテラン社員が語ったあるエピソードだった。

「うちはね、台風の夜でも納品に行ったことがあるんです。お客さんが困るからって」

それを聞いたα社の若手が、目を輝かせてうなずいた。

「それ...うちもやってました!」

その瞬間、何かがつながった。これまで別々の会社だと思っていた2つのチームに、共通する“らしさ”が存在することが分かり始めたのだ。

そして、こうした現場の声から、少しずつ“社員の語り口”で表現されたフレーズがMVVの素案として浮かび上がってくる。

「技術よりも、まず人の信頼

「誰かの“ありがとう”のために」

それは、数字や理屈ではなく、日々の営みの中で大切にされてきた価値観の結晶だった。

社長はその言葉を見て静かに語った。

 

「これが、俺たちの“らしさ”なんだな」

ようやく、本当の意味で“ひとつの会社”になるスタートラインに立てた実感があった。

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つながる想い、続く力
 ── MVVが育み続ける組織の未来

再構築されたMVVは、経営陣だけで発表するのではなく、プロジェクトに関わった社員たち自身の口から全社に語られることになった。「私たちが、こういう想いでこの言葉を選びました」――その語り口は、どこか照れくさそうで、けれど、どこまでも誠実だった。

不思議なことに、その場にいた多くの社員が「すっと胸に入ってきた」と口をそろえた。押しつけではない、“現場の言葉”で語られたMVVだったからだろう。

その後、α社ではさまざまな場面でMVVが自然と活用されるようになっていった。月次のミーティングでは、毎回ひとつのバリューを取り上げ、実際の行動と重ね合わせて共有される。「Aさんの対応、あれまさに“信頼を積み重ねる”だったよね」――そんな会話が当たり前になっていった。

β社の現場でも、「それってうちらの“らしさ”だよね」とMVVを軸にした対話が少しずつ始まり、α社との距離が縮まっていく感覚があった。理念が“ふたつの文化をつなぐ共通言語”になっていた。

やがて、新卒採用の場でもMVVを堂々と語れるようになった。「この会社の考え方に惹かれました」と話す学生が現れ、社員たちも驚きと誇りを感じた。言葉が、会社の「顔」になっていた。

1年後、かつて“水と油”とさえ言われたα社とβ社の間には、確かな一体感が芽生えていた。もちろん、すべてが順調というわけではない。けれど、迷ったときや立ち止まったときに、立ち返る「拠りどころ」がある。その事実が、日々の意思決定や行動に、静かな自信を与えていた。

「正直、MVVなんてお題目だと思ってた。でも、今は違う。俺たちの言葉だ。俺たちの旗印だ」

そう語る現場リーダーの言葉に、社長はそっとうなずいた。


理念とは“つくる”ものではなく、“育てていく”もの。そう実感できる組織へと、α社とβ社は、今も歩みを続けている。

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