ケースストーリー
組織の静かな危機
業績は好調、現場も落ち着いている。しかし、なぜか人だけが静かに去っていく――。
λ(ラムダ)社で起きた出来事は、決して珍しいものではない。急成長を遂げた多くの企業が、成熟期に入る過程で直面する典型的な組織課題である。問題は、その兆候があまりにも見えにくいことだ。
従業員満足度の低下、エンゲージメントの減退、中堅層の離職増加。これらの現象は単独では「よくあること」として片付けられがちだが、実は深く関連し合い、組織の根幹を揺るがす構造的問題の表れなのかもしれない。
本ケースは、そうした「静かな危機」に直面した一つの企業が、複雑に絡み合った事実から真の問題に辿り着き、組織変革に取り組んだケーススタディである。現代の組織が抱える複雑な課題と、それに向き合う人々の葛藤と成長を見ていこう。

危機の兆候
──四半期会議で明かされる衝撃の数字
「今四半期の離職率が40%増加しています」
λ(ラムダ)社の会議室に、人事部長の重い声が響いた。
「特に中堅層の退職が止まりません」
画面に映し出されたグラフを見つめるT社長の表情が険しくなる。売上好調、順風満帆と思っていた会社の現実がそこにあった。
「年間離職率27%──業界平均を大きく上回っています」
営業部長が困惑した表情で口を開く。「でも現場の雰囲気は悪くないと思うんですが...」
開発部長も同調する。「みんなやりがいを持って働いているように見えていました」
しかし人事部長が示した従業員満足度調査の結果は、経営陣の認識を打ち砕いた。エンゲージメントスコアは業界平均を大きく下回り、特に「将来への期待」「成長実感」で低いスコアが並んでいる。
「表面上は問題なく見えても、水面下では不満が蓄積されているんです」
役員の一人が机を軽く叩く。「このまま放置すれば、我が社から優秀な人材がいなくなるぞ…」
会議室に重い沈黙が流れた。
「なぜ今なんだ...売上は順調なのに」
T社長が呟く。急成長を遂げてきた会社に、初めて見えない敵が現れた。
数字は嘘をつかない。しかし、その裏に隠された真実は何なのか──経営陣の頭に重くのしかかる課題だった。
模索の日々
──社内での解決策を求めて
会議から一週間。T社長は連日、各部門長との個別面談を重ねていた。
「何か見落としている問題はないか?」
しかし、どの管理職からも「特に大きな問題は感じていない」という答えが返ってくる。
人事部長も社内アンケートの追加実施や退職者への再ヒアリングを試みたが、得られるのは「キャリアアップのため」「新しい挑戦をしたい」といった表面的な理由ばかり。
「本当の理由が見えてこない...」
T社長の机には、他社の成功事例や人事制度の資料が山積みになっていた。しかし、どれもλ社の状況にぴったり当てはまるものはない。
そんな中、信頼する社外取締役がポツリと漏らした。
「内部の人間では見えない問題があるのかもしれません...」
翌日の朝、T社長は人事部長を呼んだ。
「組織人事のコンサルタントを探してくれ」
「外部の方に、うちの実情がわかるものでしょうか...」
T社長の表情に迷いはなかった。
「外部の人間だからこそわかることもあるんじゃないかと言ってるんだ」
λ社にとって初めての本格的な組織コンサルティング。果たして外部の専門家は、社内では見えない真実を明らかにしてくれるのだろうか。


専門家の登場 ──予想を超える複雑さ
「組織行動研究所のSと申します。まずは御社の現状を正確に把握させてください」
オンラインで初めて対面したコンサルタントは慣れた様子で資料を確認し、社内データの分析を開始した。しかし、資料を読み進めるうちに、その表情は次第に困惑の色を深めていく。
「これは...予想以上ですね...」
続けて行われた従業員へのヒアリングでは、部署によって全く異なる声が聞こえてきた。営業部では「評価制度への不満」、開発部では「技術的成長への不安」、管理部門では「将来性への疑問」──一つの会社とは思えないほどバラバラな課題が浮上する。
さらに驚いたのは、同じ部署内でも世代によって問題認識が全く違うことだった。
「20代は『裁量の少なさ』を、30代は『キャリアパスの不透明さ』を、40代は『変化への不安』を訴えています」
T社長が眉をひそめる。「そんなにバラバラなのか...」
コンサルタントは資料を整理しながら続ける。
「離職率の悪化という問題には、実は複数の異なる原因が同時に存在していると言えます」
人事部長が不安そうに尋ねる。「一体どこから手をつければ...」
「まずは根本原因の特定が必要です。しかし、それには少しお時間をいただくことになりそうです」
λ社が抱える問題は、経営陣が想像していたよりもはるかに深く、複雑に絡み合っていた。果たして、この迷宮のような課題の糸口を見つけることができるのだろうか。
突破口の発見
──データが語る意外な真実
「興味深いパターンが見えてきました」
コンサルタントが3週間の調査結果をまとめた資料を広げる。T社長と人事部長は身を乗り出した。
「退職者の共通点を分析したところ、ある傾向が浮かび上がりました」
画面に映し出されたのは、退職者の入社年度と在籍期間のマトリックス。そこには明確なパターンがあった。
「急成長期に入社した社員の退職率が異常に高いんです」
T社長が首をかしげる。「急成長期?一番会社が勢いづいていた時期の社員が?」
コンサルタントは続ける。「当時は『やりがい重視』『成長実感』で引きつけられて入社した人たちです。しかし現在の安定期では、その価値観とのギャップを感じているのです。つまり、会社のフェーズ変化に組織が対応できていない」
さらに深刻だったのは、管理職の認識と現場の実態の乖離だった。
「管理職の皆さんは『現場は問題ない』とおっしゃいますが、実は無意識に部下からの本音を遮断してしまっているんです」
人事部長が驚く。「遮断?」
「成功体験に基づく『こうすれば大丈夫』という思い込みが、変化への対応を阻んでいるのです」
T社長の表情が険しくなる。「我々経営陣も同じということか...」
「組織の成熟に伴う『見えない構造変化』──これが真の問題です」
バラバラに見えた課題の根底には、ひとつの大きな構造的問題が横たわっていた。λ社は今、創業期から成熟期への移行という、避けては通れない試練の真っ只中にいたのだ。


変化の兆し ──そして次なるステージへ
「離職率が15%まで改善しました」
導入から半年後、人事部長が嬉しそうに報告する。
λ社では段階的な組織改革が実を結び始めていた。
「管理職研修とキャリア面談制度の効果が出ています」
T社長も手応えを感じていた。特に、成長期入社組向けの「価値観再定義ワークショップ」は予想以上の反響を呼んでいる。
しかし、コンサルタントの表情は複雑だった。
「確かに数字は改善していますが、新たな課題も見えてきました」
改革に積極的に取り組む部署と、変化に抵抗を示す部署の間で、今度は「改革格差」が生まれ始めていたのだ。
「一部の管理職からは『昔のやり方の方が良かった』という声も聞こえます」
T社長が深くうなずく。「組織変革は一筋縄ではいかないということか」
「そうです。しかし、これは成熟した組織が必ず通る道でもあります」
コンサルタントは最終報告書を手渡しながら続けた。
「重要なのは、変化を継続的に管理する仕組みを社内に根づかせることです」
半年間のコンサルティングは終了するが、λ社の真の挑戦はここから始まる。
組織は生き物だ。成長と変化を止めることはできない。外部の力を借りて見つけた答えを、今度は自分たちの力で育て続けていく──それがλ社の新たなステージだった。